Tony Zemaitis


ギター製作家・トニー・ゼマイティス

<初期 1935年 − 1965年>

1935年、イギリスのロンドンで生まれたアンテニュー・カシミア・ゼマイティス(以下、ト二―)は、16歳の時に友人の紹介で家具職人を目指し修行を始め、木工技術・材料など多くの事を貪欲に学びました。 トニーがギターを弾くようになったのもこの頃で、学んだ木工技術を生かして友人のギターを修理をするようになりました。
1955年当時、自分のギターを入手することが難しかったトニーは、友人の所有するギターを観察し、家具職人として養われた良い木材を見抜き選ぶ能力と、木材のシーズニング法、木工加工の技術を生かして自分のアイデアを加えながら見よう見まねでナイロン弦のクラシックギターを製作しました。 こうして苦労の末に完成させたのが、トニーの製作した記念すべき第一号のギターとなったのです。 
 1957年、戦争により英国軍に入隊したト二―はそこでバンドを始めました。徴兵による軍隊での生活を終えたトニーはギター製作に没頭し、それからの数年は全くの独学で独自の発想からギター作りに励み続けます。 いろいろなサウンドホールの形、弦の長さ、弦の組み合わせなど、試行錯誤を重ねながら試作のギターを作成しました。 彼の長いギター製作の歴史において、この様に新しいアイデア、技術を試すときに作られたギターは「プロトタイプ」と呼ばれています。
1960年、数々のオリジナルなコンセプトが盛り込まれた手作りのアコースティックギターを、トニーは楽器店に置いてもらう事になります。それは工場生産の市販の楽器とは全く違う物でしたが次々に売れていったのです。
  トニーが製作したギターで最初に注目されたのは、ロングスケールで低くチューニングされた12弦ギターです。これは4フレット下げ、Cスケールにチューニングされたもので、彼は「ストリートベース、ストラングロー」と呼んでいました。このタイプのギターは50年代のイギリス独自のもので有名なブルース・プレーヤー「リード・ビリー」などで知られています。
 当時のロンドンのコアなフォーク・ミュージシャンにトニーのギターは注目され、彼らからギターの注文も入るようになってきました。その頃のトニーは、彼らに材料費程度しか請求せず、安く売ることによりまた次の注文ももらうことができ、自分もギターの製作技術を高められるよう考えていました。
  1965年、そうした努力が実り、ようやくフルタイムのギター製作家として生計を立てられるようになりました

<成長期 1960年代 − 1970年代>

当時、トニーの製作するギターには、製作のレベル・材料・全体の品質の違いにより大きく分けて3つのグレードがありました。「スタンダード」、「カスタム」、「デラックス」です。
  初期のトニーは主にアコースティックギターを製作し、一番有名なギターはエリッククラプトンが所有していた通称「Ivan the Terrible」と呼ばれたものです。これは最近のオークションで$253,000!という高い価格で取引されました。
  トニーが最初に製作したプロトタイプのエレキギターは、最終的にジョージ・ハリソンが入手し、彼のコレクションの中に含まれています。
  トニーが最初に製作したメタルフロントギターは、イギリスのバンド「the Groundhogs」のトニー・マカフィーのために作られました。素晴らしい彫金が施された美しいギターですが、同時にメタルによるシールド効果により、ハムノイズをなくしたクリアなサウンドのギターとして高く評価されました。

彫金に関してトニーは、友人の彫金師ダニー・オブライエン(彼はショットガンメーカーとして有名なPurdyのマスターエングレイバーでした。)に、すべてのゼマティスギターのヘッドストック・プレートとメタルフロントの彫金を依頼していました。
  市場にあるギターとは関係なく独自のアイデアとデザインでギター製作に取り組むトニーは、ギターのプリアンプにも着目しました。それはプリアンプによって、よりゲインを持たすことで、弦の位置をピックアップから遠ざけてフィードバックを減らし、イントネーションの改善を計るというアイデアでした。
  トニーのギターを気に入った「The Faces」のロニー・ウッドは、3本目に製作されたメタルフロントを購入し、ロニーと同じバンドのべーシスト、ロニー・レーンはアコースティックギター、エレキギター、ベースと実に12本以上ものギターを注文しました。そして彼らが使用するギターは当時BBC放送の人気音楽番組「トップ・ザ・ポップス」で放送され、トニーのギターは多くの人々に知られるようになりました。
  トニーは独創的なルックスで有名となったメタルフロント以外にも、ボディートップ前面に
白蝶貝を張り詰めた、美しいパールフロントのエレキギターも製作しました。
  この頃、すでに価値あるギターとなったゼマティスは、中古品としても高く取り引きされるなど、注目を集めるようになっていました


<成熟期 1980年代 以降>

1980年。トニーは多くの人に手の届く様なギターを製作しようと、スチューデント・モデルと呼ばれる低価格帯のギターを発表します。これは大変人気があったのですが、彼の生産できる本数をはるかに超える注文が殺到したために中止せざるを得ない状況となりました。また、これらのスチューデント・モデルは、後に心無い人々の手によって、勝手にアップグレードされてオリジナルとして流通したり、本来の価格よりはるかに高い価格で売られたりする等、混乱を招く結果になってしまいました。
  ゼマティスギターの品質、スタイル、演奏性、サウンドの高い評価はさらに高まり、トニーの名声はギター製作家として世界で最高までに上り詰めました。しかしその一方で、彼はすでに生産の限界にあり、品質を重視するために生産数量を下げる必要がありました。生産数量を調整し、主にカスタム、デラックス・モデルの生産を中心としましたが、トニーはその合間にも近所に住むミュージシャンの為に、彼が使用しているゼマティス以外のギターの修理をすることもありました。
  その頃、ゼマティスのコピー・モデルや中古品の需要が高まるにつれ、オリジナル・ギターの価値もどんどん上がっていきました。

  ゼマイティスギターの所有者、プレーヤーにはロックの歴史を作り上げた数々のヒーローが含まれています。


Jimi Hendrix, Eric Clapton, George Harrison , Paul McCartney, Donovan, Greg Lake, Marc Bolan, Peter Frampton, James Honeyman-Scott, Ronnie Wood, Keith Richards, Gilby Clarke, Dave Gilmore, Tetsu, Mike Oldfield, Rich Robinson, Peter Green and Bob Dylan. 

 2000年 トニーは以前からの病を理由に引退を決意しました。

 そして 2002年 8月17日トニーは病により突然帰らぬ人となりました。

 

新生ゼマイティスの誕生

 

トニーさん直筆のオーダーシート

40年を超えるギター製作を経て引退を決意したトニー・ゼマイティス。
ちょうどその頃、私たちは縁あってトニーに会う機会があり、トニーが築き上げてきた価値ある仕事に感動すると同時に、なんとかその素晴らしいギターを後世に残したいという意思を伝えました。
我々は、単にビジネスとしてギターを作るのではなく、ロック・ミュージックの歴史に大きな足跡を刻んだゼマイティスギターの持つ高い品質とギター作りにおけるスピリットを継承する熱意を語りました。
トニーはその言葉を高く評価し、私たちは一緒に仕事をする事となったのです。

残念なことにその話し合いを続けている途中、彼は以前からの病により突然帰らぬ人となってしまいました。残されたトニーの妻アンと息子トニー・ゼマイティスJr.は、ニュー・ゼマイティスの誕生こそがトニーの望んでいた事だと、全面的に私たちへの協力を約束してくれました。

私たちはまず経験豊かなギター製作者を集め、トニーが製作したギターや、オリジナル図面、資料、スペック、材料など詳しく研究、分析することから始めました。それはトニーが製作した最高の品質を持ったギターに少しでも近づこうとする壮大なチャレンジでした。
ゼマイティスギターの大きな特徴として、美術品とも言える彫金が有名です。トニーと一緒に長年彫金を担当してきたダニー・オブライエンが私たちのプロジェクトに共感し協力してくれることになり、ダニーがもつ独特の芸術性と彫金技術によってニュー・ゼマイティスは、さらなる価値をもつことになりました。

こうして2年間におよぶひたむきな研究と努力、そして試行錯誤を経て、ニュー・ゼマイティスが誕生したのです。

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